『田舎(いなか)』って、実は魅力が見えていないだけ。魅力がない町なんて、この世にひとつもない。
こんにちは!
ちょっと楽しい家づくり ひまわり工房 広報 設計士の東 沙織です。
少しネガティブタイトルからスタートしました。誤解なく先にお話しておくと、何も、日本中の田舎を敵に回したわけではありません。笑)
ここ2日ほど、珍しく自分のtwitterをさかのぼったり、5年前くらいにやっていたブログを見ていたり、自分の記録と記憶を辿っていました。
Contents
私は、兵庫県相生市(あいおい)で暮らしています。田舎です。
↑赤いピンのあるところ。(引用:Googlemap)
姫路城のある姫路市と、赤穂浪士で有名な赤穂市、そして、童謡赤とんぼが生まれたたつの市に挟まれています。
(引用:相生市HP)
相生市は、なななんと、新幹線が停車します。それなのに?!人口が3万!!!
そろそろ3万人を割ろうとしているではないですか。。。汗)
・・・私はそんな町で暮らしています。
実は大学4年間は、兵庫県西宮市今津大東町(甲子園球場を横目に通学)というところで間借り下宿をしていたので、ずっと相生にいるわけではないのですが、人生のほぼ全てを相生市で暮らしてきました。
相生市は、造船業を中心に栄えた町で、今も当時の名残が色濃く残ります。現在57歳の父に当時の相生事情を聞くと、約40〜50年前というと造船業の最盛期?で、教室にいるクラスメートのほぼ全ての親が造船所や関連業に就いていたと言っていました。『うちの父ちゃんはすごいんだぞう!』ばりに、ステータスみたいな感じだったそうです。
一方で造船業は、昭和終盤に向かうと共に、段々と生産性やコストの面から国内ではなく国外へシフトされていまい、人々は職を失ったり、相生市外への転勤を余儀なくされたり、それに伴って相生市の勢いや活気は急速に衰えてしまったようです。
相生では何をやってもダメだ・・・という謎にネガティブな理由はやはり。。。
削られた島の雰囲気からおそらく家島だと思われる。
とっても近い。こんなに近いのに相生からの便がないなんて…。相生〜家島便あったらいいのになぁと。 pic.twitter.com/4qbfRD3gDO— 東沙織 @あず【暮らしの設計士+生配信パーソナリティ #あずLIVE 】 (@azyu_azu) August 20, 2013
相生市は、こんなに海が近いんです。つい、深呼吸したくなります。こんなに気持ちの良い景色、一体どれほどの人が知っているんだろう。
相生市の人は、こんな性格の人が多いと、私は感じています。
●保守的で秘密ごとがお好き。ゆえに、根も葉もない噂話がお好み。
●新しいお店に対して、なんとなく「またダメでしょ」という見解をしがち。
●波風立てないように、右向け右的なる人が多い。
●新しいことや変わったことしようとする人に対して、厳しい持論を持ちがち。
●どこか、地元に「終わった感」や「妥協感」を感じている。
●地元で就職する場所がなく、役所が賢明だという結末になりがち。
●子も大人も、勤勉マジメな性格。約束事は特に大切にする。
●節約倹約家が多い。(これは私の偏見?!)
●派手なことや贅沢に憧れるが、人に知られるのはどこかニガテ。
●こっそり派手な事するのが、お好き。
●子育て世代に手厚い補助があることは、熟知している。
●相生市の牡蠣が美味しいことは自慢だったりするし、県外の人に贈りたがる。
●人口を超える人がやってくる「ペーロン祭」に対する思いは熱い。笑)
●結果的に、相生に悪い人は少なく、平和だという見解。。
書きながら、やはり悶々してしまった。。。いいところをこれから書こうとしているんですが、元来持っている相生人の特性がどこか私と合わず、悶々しちゃう・・・笑)
相生市は過去に、一度大きな失敗というか、造船業を取り巻く変遷を経験して以来、何か歯車が狂ってしまったのか、何をやってもパッとしない町になってしまったような、そんな気がしてなりません。何かおかしいとわかっていても、知らないふりをして、妥協して過ごしていく・・・そんな町の性格が私と合わないことは、何となくわかっていました。
相生市に対してコンプレックス一色だった、中高時代。
中学生の頃は、遊びに行く場所に悩む日々。だからめっちゃ勉強や部活ばっかりしてました。
これはこれでよかったのかもしれません。
問題が、高校生の頃で。市外から相生市の相生高校へ通ってくる友人に言われて凹みまくったことがあります。
相生は、ほんっま、何もないな!!笑)←結構、笑われている。
この一言は、一体何度言われたことか。おきまり定番の枕詞のようでした。私は、この言葉を言われる度に、『私は相生代表市民』みたいな感じで、「何もなくてごめんね〜」と、凹んでいたのを覚えています。なぜ何の責任もない私がペコペコ市外の人たちに謝らなくちゃいけないのか、悔しい気持ちを通り越して疑問符として記憶に色濃く残り続け、今の私を作る土台となりました。これはこれで、よかったのかもしれません。
都会暮らしの中で気づいた、地域(田舎)での暮らしの幸せ。
奇しくも大学では、地域計画(地域づくり)を研究課題にしていました。日本全国のマチやムラを見て感じてきました。同時に、私が暮らしてきた町を見つめ直す機会にもなりました。
魅力がない町なんて、この世にひとつもない。
人であれ、モノであれ、歴史であれ、風景であれ、、、必ずそのまちにしかない魅力があるし、そのまちには使命がある。そのことに気づける人がいれば、まちは輝いでいくし、きっと田舎であれ都会であれ、暮らすことが楽しくて仕方ない日々が待っていると私は考えています。(東沙織 論)
そのお手伝いをする使命があるのが、市役所の人でも観光協会の人でもない、ふつうの市民であり 工務店の設計士である・・・私なんだと思います。
相生市に来てくれたら、いい写真スポットと数少ない美味しいお店、紹介しますからね〜!
投稿者プロフィール
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1988年生まれ。相生市出身。有限会社ひまわり工房取締役 広報&設計担当建築士。幼い頃からものづくりが好きで、武庫川女子大学で建築を学ぶ。並行して、西宮市船坂地区の築200年古民家再生プロジェクトに携わる。気づけば茅葺き民家に夢中になり、『茅葺き女子』と呼ぶように。この体験が私の住宅設計の原点。朽ちる中にも『美』を感じるものが好きで、私もそんな人生を築きたいと思う今日この頃。休暇はもっぱら島&村旅計画。2017年からDIYワークショップ(イベント出店型)始めました。
■instagramにて、『暮らしのアイデア』毎朝投下中
■instagramLIVEにて、『暮らしの質問』毎週金曜22:00に解説中
■LIMIAにて、『暮らしづくりのレシピ』執筆中
■LINE LIVEにて、『建築学生応援ラジオ』配信中
■YouTubeにて、『声で聴くブログ あずの車窓から』配信中
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