東 沙織のプロフィール

東沙織

東 沙織(あずま さおり)

□有限会社ひまわり工房 取締役
□広報/暮らしの設計士をやっています。
□二級建築士/インテリアコーディネーター
□1988年(昭和63年)生まれ。兵庫県相生市出身。

 

好きについて

□時間:妄想・島旅・茅葺き・深夜ラジオ拝聴
□映画:『人生フルーツ』
□書籍:『あしたも、こはるびより』
□アーティスト:大橋トリオ・星野源(敬称略)

 

メディア・登壇実績

住宅業界紙『新建ハウジング新春号 Vol.782』(2018.1)
住宅業界紙『新建ハウジングプラスワン Vol.784』(2018.1&2)
新建ハウジング広報塾2018 ゲスト登壇(2018.5)
ホンダスマイルミッション 全国FM局ラジオ放送(2019.10)
新建ハウジング『工務店ミライセッション サキガケ』講師登壇(2019.11)

 

SNS

■instagramにて、『暮らしのアイデア』毎朝投下中
■instagramLIVEにて、『暮らしの質問』毎週金曜22:00に解説中
■LIMIAにて、『暮らしづくりのレシピ』執筆中
■LINE LIVEにて、『建築学生&若手応援ラジオ』配信中
■YouTubeにて、『声で聴くブログ あずの車窓から』配信中

さて。ここから先は、わたしの生い立ちをお話します。どうぞ読んでいただければ幸いです。

 

こんにちは、東沙織です。

わたしと母(専務)と。

兵庫県相生市で生まれ育った私。人口約3万人の小さな田舎町です。

家族は、自営業の社長である父、支える母、若干破天荒な2歳下の妹、ディズニーマニアな6歳下の弟の5人家族。私は長女です。

幼い頃から集団規律に敏感である一方で、自分だけの時間となると当時流行っていた『セーラームーン』の衣装づくりに没頭し、自分だけのショータイムに明け暮れる 八方美人な陰キャラでした。

妹がギャル系に育つ一方で、わたしは真面目系に育ってしまい、わたしの背中をみてきた妹や弟が 進路選択の際に苦労したそうな。。ごめんよ。。

 

ゆとり世代と名付けられ、複雑心の小学生時代。

ちょうど小学生になる年(1995年)の1月17日。阪神淡路大震災が起こりました。「なんやこれは…。」相生市でも相当な揺れを観測したようで、幼心に父の胸元へ飛び込んだ感覚を覚えています。その春には地下鉄サリン事件が起こるなど、明るいニュースが世に出ぬままに、わたしは小学生になりました。

わたしは昭和63年生まれですが、同時に『昭和64年』『平成元年』の生まれがまたがる 少し不思議な学年なんですよね。

そんなわたしは公立小学校に入ると同時期に、第2第4土曜が休みに。子どもながらに「やった~!来週の土曜は休み~♩」と嬉しんでいましたが、これはゆとり教育の始まりとも言われています。

もしかすると中学の記憶かもしれないのですが、「このページは勉強しなくてよくなりました。」と担任の先生に言われ、教科書に『×』をつけさせようとする ゆとり教育による指示が、子どもながらにどこか疑問でした。

一方で、ゆとり教育の代名詞『総合的な学習』というのが意外にもじぶんに合っていたようで。『兵庫県を調べる』という課題が与えられた時には、『篠山』という地を選んで発表をしました。まさか今のわたしがこんなにも篠山が好きになるとは、当時は思ってもみませんでした。

 

『音を生み出すこと』に魅力を感じる。

いじめも、いじめられも、傍観者も すべて体験した小学生時代。複雑時代でしたが、休日に通っていた『合唱団』がかなり心の癒しになっていました。ソロの代表者として推薦してもらえたりと、『音をつくる』ことを、じぶんにしかできない魅力だと自信がもてたものです。

同時に、『放送委員会』での活動も癒しでした。ランチタイムにいろんなコーナーを作って音を生み出すラジオごっこに勤しんでいたのが 今のわたしに繋がる懐かしき思い出です。

 

学級崩壊と給食と。

ちょっとヤンキー生徒が多かった中学時代。もはや学級崩壊寸前の3年間。授業中、先生の質問に対してマジメに答えるわたしに 消しゴムやバカ笑いが飛んでくることもしばしば。『目立たないようにしなきゃ…』 という謎の陰キャラ偽装を図り、個性を押し殺すように過ごしていました。

話は変わって。相生市の小中学生にとって今や『給食無償は当たり前』です。わたしの中学2年くらいの頃から試験的に(希望者限定で)有償にてスタートしました。

小学校から続く相生の給食の味。忘れられない大好きな味。争いのない平和な給食時間が貴重な癒しでした。

 

図書委員長が使命だと思っていた 中学時代。

中学生の卒業式
中学生の卒業式

実は、中学時代は図書委員長に何度も立候補するほど図書室の居心地が好きでした。委員長の権限で新書を何十冊も仕入れることができたあの興奮は、今でも忘れられません。

「こういう特集コーナーを作ったら、読書率があがるのでは?」
「ニュースレターの魅せ方をこうやって変えたら見てもらいやすいのでは?」
「開館時間を変えてみると、使いやすくなるのでは?」
「書架の配置をこうやって変えてみるのは?」
などと、当時の図書委員担当の先生にあーだこーだと、改善提案を求めて実践したものです。 今思えば、あの瞬間が『いまのわたしの原点』なんだと実感します。

 

特技『美人ちゃんの相談相手』

そして、高校生時代
そして、高校生時代

中学時代は勉強がそこそこできた結果、地元相生高校(公立だけと進学校)へ進学しました。しかし、入学直後のクラス分け試験にて、洗礼を受けました。『思ってた高校生活とナンカチガウ…。わたしは勉強ができないんだ…』と。

劣等感の塊な高校時代。当時得たものは、『耐え抜く精神』

田舎な学校なのに、なぜが存在する『スクールカースト』。親しい友人が美人ちゃんばかりだったので、彼女たちのカースト悩みがうらやましく聞こえたものです。ちなみにわたしはカースト圏外のため、悩みは一度もありません。(笑) とはいえ、高校時代は人生を共にできる友達にたくさん恵まれました。そういえば、仲良しグループでHPを作るのが流行っていて面白かったですね。

 

部活3つ掛け持ちの 高校時代。

これは、サッカー部の集団
サッカー部(ラジオに部活紹介を投稿したら大量のポカリが送られたの図)
書道部時代の作品。
書道部時代の作品。
JRC部のトレーニング風景
JRC部のトレーニング風景

●サッカー部マネージャー
●書道部
●JRC(Junior Red Cross)部 ※日本赤十字団体活動
この3つの部活で汗を流しました。今思えば、勉強よりも部活に生き抜いた学生生活だったかもしれません。

書道部では、好きな音楽アーティストの作詞ばかりを創作して書いていたので、大会でも偉い先生に『ナンデスカコレハ』とよく言われたものです。とはいえ、同世代の学生さんからは「先輩の作品ほしい!」と言ってもらえたので、納得の活動でした。

なかでも、JRC部での活動がとても面白かったですね。他校とごちゃまぜになって、『即興演劇』を完成させたり、リーダー脳を育成する良い機会になりました。

 

茅葺き女子に目覚める 大学時代。

古民家族Before
古民家族Before
茅葺き女子
茅葺き女子

国公立大学進学は無理だと覚悟し、親に頭を下げて私立大学進学を請いました。何時間にも及ぶ説得の末に、進学決定。4年間、兵庫県の武庫川女子大学で建築を学びました。甲子園球場の近くに学校があります。

並行して、兵庫県西宮市山口町ある『船坂地区』の築200年古民家再生プロジェクトに携わりました。気づけば茅葺き民家に夢中になり、自分自身を『茅葺き女子』と呼ぶように。リーダーとしてずいぶん年上の社会人をもまとめるという大役を背負い、「あずちゃんは恐い…」と言われるほど燃え散らかしていた大学時代。この体験が私の住宅設計の原点です。茅葺き民家は朽ちる中にも『美』を感じる。私もそんな人生を築きたいと誓いました。

この頃にブログやmixiが流行り始め、わたしもTwitterやinstagramを始めました。

 

IKEA JAPANでのアルバイト

IKEA 神戸

今につながるといえばIKEAでのアルバイト。 ショールーム(リビングルーム)でお仕事をさせていただきました。組織作りやプロジェクトの進め方、各部署との連携、心地いい接客対応。いい思い出も苦い思い出も数えられないほどの経験を 短期間で得られることができました。当時の上司や同僚には感謝してもしきれません。

 

そして社会人に。家業へ。

ひまわり工房

大学2年くらいの時からすでに家業への誘いはもらっていましたが正直、悩みまくりました。別の大手会社で修行をしたほうが 誰にとっても良いに決まっている。そう考える自分もいました。

『いつか辞めるから、そのタイミングを図ろう。』

そんな本心を抱きつつ入社。けれど、覚悟の決まらない状態ではいい仕事なんてできやしません。結果、5年間は給料泥棒のような姿勢だったのように思います。いまはその分を挽回する気持ちで仕事に臨んでいます。猛省。

 

環境はじぶんで作るものだったのか!

人生の師(尊敬する人のこと)に出会った2016年。『あなたの発信は、それ自身が「商品」』と教えてくれた人たち。そこから突き動かされるように行動に覚悟をきめてここまで続けてこれました。SNSという時代のツールを使って、『じぶんを切り売るような気合いで発信』をつづけてきましたが、結果的にこうやって『じぶんがメディアになるような仕事』の在り方が楽しいものだと感じています。

大切にしている書籍から。
ドイツへ
ドイツでは、人生を左右する出会いも。(自然塗料のリボス社へ)

 

今日も、誰かの豊かな暮らしのために。

ひまわり工房

上から目線でもなく、下から目線でもない。お客さまと工務店という関係性ではありながらも、お互いに尊敬できる関係性でありたいものです。

『今日も、誰かの豊かな暮らしのために。』

この言葉を天命に、駆け抜けてきました。「あずさんに出会ってよかった」そう言っていただけるように、これからも伝え下手ではありますが、設計士として広報として 暮らし手の皆さんと駆け抜けたいです。わたしを応援してくださるファン(あずファン)の皆さまにも、心からの感謝をこめて。

 

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